特別賞(5人) | |
1 | 穴澤 忠平/ 元(財)電波技術協会 |
昭和2年以降ITUの主要国際会議会合に数多く出席して活躍し、その間、欧州各国の無線通信技術を導入する等、わが国電気通信技術の発展に多大の貢献をした。また、日本放送協会の技術局工務部長、理事、職員養成所長等を歴任して、わが国放送技術の発展に尽くし、さらに、電波技術協会常務理事、郵政省電波技術審議会専門委員として活躍する等、長期にわたり一貫して放送、無線通信技術の発展に寄与した。 | |
2 | 荒川 大太郎/ 協和電設株式会社 |
昭和12年、国際無線通信諮問委員会第4回総会において、わが国の首席代表として活躍し、また、日本放送協会常務理事として中波放送用周波数の有効利用、難視聴地域の解消に尽力した他、戦後逸速くテレビジョン研究を再開してわが国今日のテレビジョン放送の隆盛に大きく貢献し、更に郵政省電波技術審議会委員として電波行政に参画し、また武蔵工業大学学長として無線通信技術者の養成に携わる等、長期にわたりわが国無線通信技術の発展に寄与した。 | |
3 | 飯野 毅夫/ (財)国際通信文化協会 |
昭和7年マドリッドにおいて開催された第13回万国電信会議及び第4回国際無線電信会議を初めとして前後数回に渡るITUの主要会議に出席して活躍し、国際電気通信条約の改正、周波数割当問題等当時困難な問題の審議に当り、わが国の国際電気通信事業の基盤確立に大きく貢献した。また、夙に無線通信の重要性を強調してその分野の開拓に力を尽くし、通信の自主性の確立に寄与した。 | |
4 | 野村 義男/ 日本放送協会 法規室 |
大正14年以降戦前戦後を通じてITUの主要会議会合に数多く出席して活躍し、わが国のITU活動に大きく貢献した。その間また、著作権制度審議会委員・副会長としてわが国著作権関係の立法に貢献するとともに、著作権、隣接権等の国際会議にもしばしば出席して活躍する等、内外に渡り、放送文化の発展に寄与した。 | |
5 | 濱田 成徳/ エレクトロニクス協議会 |
昭和30年郵政省電波監理局長に迎えられるや、困難な状勢下にある電波行政および放送事業の進展に務め、その間2回にわたり国際無線通信諮問委員会総会に出席して活躍し、国際無線の発展に大きく貢献した。また、エレクトロニクス協議会副会長・会長として電子技術の普及発展に尽力し、さらに、郵政省電波技術審議会委員・会長として電波行政に参画する等、長期間一貫してわが国電気通信および放送の発展に寄与した。 | |
褒賞(4人・団体) | |
1 | 小口 文一/ 日本電信電話公社 |
昭和46年9月当協会設立とともに開設された研究集会委員会の初代委員長として、豊富な経験と該博な知識により、研究集会活動の実施計画、各研究会の設置・改廃などの審議を通して講演会、パネル討論会、各研究会を軌道にのせ、ITUおよび関連国際機関の諸問題等について広く自由討論および意見交流の途を開き、当協会の発展に寄与した。 | |
2 | 金子 仁/ 日本エレクトロニクスショー協会 |
昭和46年9月当協会設立とともに開設された図書編集委員会委員として、51年1月の長期にわたり、月刊誌「国際電気通信連合と日本」および「ITU研究」の編集に参画し、両誌の円滑な発行、内容の充実に大きく貢献し、当協会の発展に寄与した。その間また、世界電気通信日行事、ITU青少年作品コンクール参加等協会の行う諸行事にも積極的に協力した。 | |
3 | 古里 正蔵/ 日本無線株式会社 |
昭和46年9月当協会設立とともに開設された運営委員会委員として、51年3月までの長期に渡り、当協会の運営方針、事業計画、業務運営等の全般にわたってその審議に参画して協会の事業運営を軌道にのせ、また、同期間、研究集会委員会委員として、その審議を通じて講演会、パネル討論会、各研究会の研究集会活動に貢献する等当協会の発展に寄与した。その間また、世界電気通信日行事、ITU青少年作品コンクール参加等協会の行う諸行事にも積極的に協力した。 | |
4 | 逓信博物館 事業課 |
昭和47年以降毎年世界電気通信日所行事の実施に際しては、式典会場の設営に協力し、また、写真等記念展示にあたっては、展示物の提供、選定、レイアウト、展示コーナー設備の整備維持等にその専門的知識を駆使して尽力し、その間また、2回にわたって開催されたITU青少年作品コンクール参加作品の展示に際しても積極的協力を惜しまず、常に当協会行事の円滑な運営に寄与した。 | |
一般賞(5人) | |
1 | 大内 三郎/ 日本電信電話公社 |
昭和40年以降、世界無線通信主管庁会議、管理理事会、ITU全権委員会議その他の主要会議・会合に数次にわたって出席し、電波技術に関する広汎な知識と豊富な経験によって活躍し、わが国のITU活動に大きく貢献した。また32年から7年間国際周波数登録委員会職員としてその業務に従事し、無線通信の国際的発展に寄与した。 | |
2 | 北原 武男/ 国際電信電話株式会社 社長室 |
昭和28年以降21年間、一貫してITU関係の職務に携わり、その間国際電信電話諮問委員会(CCITT)、プラン委員会、世界無線通信主管庁会議、ITU全権委員会議その他の主要会議・会合に数次にわたって出席して活躍し、わが国のITU活動に大きく貢献した。特にCCITT第1研究委員会及び第4回総会においては、電信規則の簡素化などの討議に参画し、電報の運用ならびにテレックス規則に関する勧告の作成に寄与した。 | |
3 | 新川 浩/ 富士通株式会社 |
昭和26年以降無線通信主管庁会議、国際無線通信諮問委員会、アジアプラン委員会その他の主要会議・会合に数次に渡って出席して活躍し、その間郵政省電波技術審議会委員をつとめる等わが国のITU活動に大きく貢献した。またKDD内外の研究員を動員して国産技術による優れた宇宙通信施設を完成し東京オリンピックのテレビ世界中継を成功させ、さらに引き続いてインテルサット関係の諸会議に出席して、世界衛星通信網の技術計画に参画する等その功績は顕著である。 | |
4 | 西崎 太郎/ 東京芝浦電気株式会社 |
昭和25年以降ITU関係の国際会議に数次に渡って出席活躍し、特に34年開催のITU全権委員会議におけるわが国初の管理理事国当選ならびに同時期開催の通常無線通信主管庁会議における日本のIFRB委員選出に尽力し、わが国のITU活動に大きく貢献した。また42年以降8年有余の長きに渡ってIFRB委員として周波数のスペクトラムの秩序ある国際的利用の促進につとめた。 | |
5 | 矢口 栄一/ 日本放送協会 技術本部 |
わが国の海外技術協力計画に基づき、昭和38年以降数次に渡ってアジア、アフリカ、中近東地域の開発途上国に技術協力専門家として派遣され、テレビ放送網建設計画の策定および放送機器の運用、保守等の技術指導に専心し、当該国の放送事業の発展に大きく貢献した。その間現地技術者の日本への留学研修の実現に努力し、またインドネシア放送網拡充計画の推進のため、同国情報省のアドバイザーチームの技術スタッフとして放送政策の策定に参画し、同国の期待にこたえた。 | |
著作賞(2人) | |
1 | 岩橋 栄治/ 日本電信電話公社 横須賀電気通信研究所 |
前会期に引き続き、国際電信電話諮問委員会第15研究委員会、特別D研究委員会、CNC合同作業部会に出席して、伝送技術の国際標準化に関する国際世論の形成に寄与してきたが、その間第15研究委員会の報告者として活躍し、なかでも50年度においては実に16件にのぼる寄与文書を作成提出して同委員会の活動に寄与し、わが国のITU活動に大きく貢献した。前会期において、60メガヘルツ方式および60メガヘルツを越えるFDM方式に対してジャンボ群を経由する多重化を提案し、新研究課題として採択されたことは記憶に新しいところである。 | |
2 | 横井 寛/ 国際電信電話株式会社 研究所 |
20年間一貫して電波、無線関係の研究に従事し、その間郵政省電波技術審議会専門委員として審議に参画しているが、昭和43年以降国際無線通信諮問委員会に対し、電波および衛星通信に関するたくの寄与文書を作成提出するとともにその会議・会合にも出席して活躍し、わが国のITU活動に大きく貢献した。特に47年以降提出した寄与文書は実に18件にのぼり、第4研究委員会関係の固定衛星業務用地球局アンテナに関する研究および第5研究委員会還啓の降雨減衰に関する研究等その内容は高く評価され、新レポートの作成に寄与している。 |