—- JAMSTEC(国立研究開発法人 海洋研究開発機構)海洋工学センター 海洋技術開発部長の吉田弘先生をお訪ねしました。
JAMSTECは、海洋に関するサイエンスと技術の基盤研究開発を行っています。
海洋研究開発機構(JAMSTEC)正門 |
吉田先生(右) |
シートピア |
—- 吉田先生のお仕事についてお伺い致したいと思います。
一言で言えば、海に関する技術の研究開発とその大切さについてアピールすることと考えています。日本周辺には海が沢山ありますが、まだまだ、十分に使われていません。それに分からないことが沢山あります。そもそも人は海中に潜ることができませんから仕方のないことです。
—- では、まず何をしたらいいのでしょうか。
海中の実態は、ほとんど知られていない、というのが実際のところです。海中を利用するためには、まず、十分に海中を知る必要があります。
海中を知るためには、「行って」、「調べる」必要があります。行って調べるためには、海上(陸上)と海中を「つなぐ」必要があります。
現在、JAMSTECでは、海中に行って、調べるためのプラットフオームを開発しています・・・例えば、”しんかい6500”(有人型)や”ゆめいるか”(無人型)・・・ですが、これらを利用して、広範な海中の調査・研究を行っています。新しい発見も沢山出てきています。
そして、このプラットフォームの活動の自由度を更に上げるためには「つなぐ」技術の開発が大変重要です。
しんかい6500 |
ゆめいるか |
—- 今回は、「海中通信」についてお伺いしたいと思っていますが、この「つなぐ」技術の現状はどうなっているのでしょうか。
現在の海中での「つなぐ」技術は、音響が中心です。
海中を伝わる音響(超音波)を利用して、実際に通信を行っています。ただ、通信速度や品質の問題があり、必ずしも快適とは言えません。
実際、JAMSTECでは・・・海中ではこの通信速度で高速通信と呼んでいますが・・・80kbpsで900m程度の通信距離を実現しています。
また、低速ではありますが、位相共役波通信という手法で、マルチパス波を利用した1,000kmもの長距離通信を実現しました。これは世界最長レベルと言えます。
海中での音響通信は、例えば30kHzの超音波ならば吸収減衰は、5.2db/km程度ですから、かなり減衰量は少ないです。
しかし、①近傍通信ではマルチパスやドップラーシフトの影響が強く出てしまうこと、
②岩石などの固いものは通過できないこと、
③通信の帯域幅が狭く伝送容量が小さいこと、
④遅延が大きく即時性が困難なこと、
このような欠点があります。
信号処理で通信距離・品質等の改善は更に可能と思いますが、物理的な技術開発余地は段々と限界に近づいているように思えます。
そこで、海中のプラットフォームに対して、より柔軟な通信・測位・テレメトリ手法を提供するために、電波も使えるようにすべきと考えています。そのためには、まずはきちんとした海中での電波のふるまいの把握が必要です。
深海潜水調査船支援母船 |
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よこすか(前部) |
よこすか(後部) |
—- 歴史的に見て、これまでの電波に関する海中伝搬の研究はどうなっていたのでしょうか。
取りまとめたのが次表です。通信距離を中心に取りまとめています。
特に1960年代から80年代にかけては、いろいろな研究が行われていました。しかし、結果はまちまちです。逆に実験方法によって結果が異なる、というところが大変面白いと思います。
この表からは、周波数1KHzの水中電流を利用して、50mの通信(探査)距離を確保するのが精々ではないかと思います。
—- 海中では非常に低い周波数(数十kHz以下)の電波以外は利用できない、というのが定説と思っていました。下図が一般的に知られている「水中での電磁波の吸収減衰」特性図だと思っています。
この図は、1960年代に作られたもので、実際広く使われています。様々な人が作ったデータを取りまとめたもので、測定条件等については、必ずしも明確ではありません。
この図をマクロ的に見れば間違いないと思いますが、100%正しいとは必ずしも言えないというところでしょうか。
—- ひょっとしたら、この「吸収減衰」曲線が変わるかも知れないということですか。
その可能性はあります。海水での短波帯辺りの吸収減衰量が純水並みに下がるかも知れません。実際に観測されたこの現象を解析するため、仮説を立て、検証実験を重ねているところです。
—- 海中で電波が利用できるようになった場合、どのような応用が考えられますか。
まず、次のイメージ図をご覧ください。
① AUV(次世代型巡航探査機)間の通信
② 海底地下鉱床の電磁探査
③ 海底地震計間の通信
④ 海底下掘削ロボットの通信・測位
等が考えられます。
また、下図は北極海の氷下モニタリングシステムです。地球温暖化の影響などを調査する際、氷下の海中を移動するAUVと氷上の基地局との間の通信に活用できます。氷の中は音響が伝わりませんので、電波が有効です。
現在、電波の利用周波数は10KHzほどのところを考えていますので、氷と海水の境界面での反射の問題を解決すれば実用化は問題ないでしょう。
現在の海洋での電磁波の応用フィールドについて取りまとめると次表のようになります。
中でもTRL(※)の低い分野である短波(HF)帯に関連する技術向上に取り組んで行きたいと考えています。
(※) TRL(Technology Readiness Level、技術成熟度レベル)
—- 海中での短波の研究は、”ある実験結果がきっかけになった”、とお聞きしました。
英国リバプール大学のJ.Lucas教授らの研究です。何と「1MHz~60MHzの周波数において、30Wの出力で1,000mまでの海中通信が可能との結論が出た」と公表されたのです。
実は、JAMSTECにおいても、HF帯の海中伝搬試験は既に行っていました。
実際に、短縮型のダイポールアンテナを海中に吊し、10Wで14MHzの電波を送出したところ、理論値と異なり、より長い距離を伝搬する可能性があるという実測値を得ていたのです(赤丸の部分)。
しかし、リバプール大学からは、アンテナの周囲を真水で満たすと、海水中での減衰量が更に小さくなるとの情報があり、追証実験を行うこととなりました。
—- どのような実験装置で、どのような結果が得られたのでしょうか。
(ロー)カットオフ周波数(※1)が40MHz(比誘電率が約80のH₂Oを満たした場合)のファラデーケージ(※2)を製作しました。送受信アンテナと伝搬路の部分に隔壁を設けて、真水や海水を分離して注入できるようにした実験装置です(下図)。
※1 伝搬する最低周波数。
※2 導体に囲まれた空間であり、内部に電気力線が侵入できない。導波管の構造。
この実験を行ったところ驚くべき結果を得ることができました。下図をご覧ください。
横軸が周波数(0~100MHz)、縦軸が受信信号レベルです。
このファラデーゲージのカットオフ周波数は40MHzですから、40MHz以上の周波数特性に着目します。
全て海水で満たされたType bのグラフは、予想どおり大きな減衰が発生しています。これでは通信には使えない、というのは理論どおりです。
ところが、Type aとType cの結果が大変よく似ていたのです。
Type aは、すべて真水の中の伝搬特性です。Type cは、アンテナ周囲のみを真水で満たし、伝搬路に当たる部分には海水を満たした装置の周波数特性です。
比較すると、およそ40MHz以上の周波数において、真水を伝わる電波の減衰(Type a)と、海水を伝わる電波の減衰(Type c)とが、ほとんど一致したのです。
水中の長距離通信(1Km程度)のニーズは、真水では、湖、ダム湖など限られた場所になりそうですが、広大な海中ならば多いにあります。これは大変有用な通信手段となるはずです。
—- なぜ、海水でも真水のような減衰特性が得られたのでしょうか。
今後、実験方法に問題は無かったかという検証と、理論的な解析の2つを検討する必要があります。
現在の考え方は、
① ラジアン球の内側(アンテナからλ/2πの距離)は、
・ ストレージエネルギーは放射エネルギーより大きい
・ 場のエネルギーは、イオン(主にNa⁺とCl⁻)を動かすことに消費される
⇒ 導電電流により損失が大きくなる
② 遠方界の領域
・ 放射場が主となる
・ 放射場のエネルギーはH₂Oなどのクラスターを壊さない
・ 水分子のみ放射場のエネルギーで振動(真水と同じ)
⇒ 結果、損失は真水中伝搬と同程度となる
このように考えていますが、今後きちんとした裏付けが必要と考えます。
—- 海中電波通信の課題を解決するために、現在行っている研究について教えてください。
2014年から、NICT等との共同研究を行っています。
私は、海中での電波通信を、
① 海中ロボット間通信手段の提供、
② 海底下通信・測位、
③ 海底下の可視化ツールの開発
に利用したいと考えています。
これら目的を実現するため、海中・海底での電波伝搬の計測データをとりまとめ、短波(HF)帯の海中電波伝搬の謎の解明を進めます。
最終的には、最適海中アンテナを開発し、所期の目的を達成したいと考えています。
—- 将来構想は如何でしょうか。
引き続き、NICTや電機大との共同研究を行い、目的達成に向け研究を進めて行く予定です。
中でも、誘電率計測装置の開発に力を注いで行きたいと思っています。
もし測定方法の違いにより海水などの誘電率や導電率が変わってしまったら、そこには何かありそうです。物理メカニズムとして、測定の難しいミクロレベルの解析を進めて行きたいと思います。
準備段階に10年余りを要し、まだ本格的な研究を開始したばかりですが、海中電波の応用範囲は意外と広いと考えています。
ただ、海中という特殊な分野であることから、これら研究に携わる十分な人材を確保することが困難なのが現状です。
ご説明したように、電波伝搬の定説を覆すような驚きの実験結果も得ています。これが本当かどうかの実証も含め、是非、電気通信分野に携わる研究者の方に参画頂き、未知の領域を一緒に開拓していけたらと願っています。
—- 最後に、若い研究者にアドバイスがありましたらお願いします。
新しいことをやろうとした時、大切なのは疑問を持つことだと思います。もちろん、物理学、化学、生物学などの基礎知識があることが前提です。
アイデアを形にしようとする時、自らの基礎知識と結びつけて、それが本当に成り立つのか・・・物理、化学などの法則とずれはないか、これを十分検討して初めて、ならばやってみよう、ということになると思います。きちんと工学的手法で進めて行くことが大事です。
このようなプロセス全体があって初めて本来の「研究」と言えるのではないでしょうか。若い研究者の活躍を期待したいと思います。
イメージ写真 |
—- ネット検索から「海水中に電波の窓があるらしい」という情報を得て、現在、世界でも唯一研究を継続されているJAMSTECの吉田先生に突撃取材をして参りました。是非、今までの電磁界の定説をひっくり返して頂きたいと思います。
—- なお、以上の取材内容の他、現在取り組んでいる大変興味深いお話もお伺いすることができました。バイオミメティクス関連も含めいくつかご紹介させて頂きます。
「ミミズロボット」の開発 | |
ミミズの推進機構を真似ることにより、非常に低エネルギーでトンネル掘削をすることができそうです。 穴を掘るというと、サンダーバードに出てくるようなクローラ付のドリルマシンを思い浮かべると思いますが、これは大変大きなエネルギーを消費します。 一方、ミミズは、土を食べて体内に取込んだ後、体の一部を膨らませ、その膨らむ位置を前方にずらすことにより、トンネル内部と体の接触部分との摩擦力により前進します。この消費エネルギーを極小化した推進機構により初めてエネルギー収支が成り立つのです。 この仕組みを取り入れた海底資源掘削マシンを作ることができれば、大変採算性のよい採掘が可能となります。 実際のところ、バイオミメティクスロボットの実用化はあまり進んでいないのが現状です。現在は、水道管の中を検査するロボットが唯一ではないでしょうか。 その要因として、動きは真似ることができても、目となるカメラ映像を安定して取得することが困難なことです。実際、動物の眼球は、体の動きに対応してグルグル動いています。この動きを完全に真似ることが非常に難しいのです。 |
「マダニ」の超シンプル機構の模倣 | |
マダニは動物などの血液を吸って生きていますが、その生活パターンは超シンプルで超効率的です。 マダニの行動パターンは、保有する3種類のセンサーで決まります。この3つを同時に使うことはなく、必ず切り替えて使います。切り替えるということが、非常に少ないエネルギーで行動を持続できる秘訣のようです。 3つのセンサーの役割です。 ① 動物に取り憑くための最適な木を探すセンサー ② 木の下を動物が通過するのを感知するセンサー ③ 動物に取り憑いて吸血場所を探すセンサー
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イグノーベル賞への挑戦 | |||||
今年(2016年)の受賞研究は?
どちらの効果も脳の働きに注目したいですね。とても示唆に富んだ研究だと思います。 現在、吉田先生は、お仕事の傍ら植物間通信について研究されています。 近接して生えている植物は相互に通信をしているらしい、ということが分かったとのこと。これは地上植物は勿論のこと、海中のコンブなども同様のようです。 そして、実験の結果、植物は相互通信に「電界・磁界を利用していない」こと、「化学的な物質の利用もない」ことが、証明されました。 では、どのようなメカニズムで通信しているのでしょう?この神秘の通信の仕組みが分かれば、凄い発見です。 解明の暁には、イグノーベル賞?! |
深海キャビテーションから発生する電磁波を利用できないか |
海上を航行する船のスクリューなど、低水圧下では簡単にキャビテーションは発生します。しかし、深海では水圧が高く深海艇のスクリューなどでは発生しません。
高電圧で放電すると深海中でもキャビテーションが発生することが確認できました。 このキャビテーションからは、ランダムな音響や電磁波が生成されます。現在はまだ、このランダムに発生する音響や電磁波をコヒーレントに制御することができないため、実用化の目処が立っていない、という状況です。 ※ キャビテーション:超音波やスクリューなどによって、液体の中に圧力差が生じ、溶け込んでいた空気などが気泡として発生・消滅を繰り返す物理現象。気泡が消滅するとき衝撃波などが発生する。 |
ニュートリノの利用 |
低エネルギーニュートリノは、原子力発電所からも、人体からも発生しています。海水中も通過するので、原子力潜水艦から発生するニュートリノを観測することで、その測位が可能です。
ただし、場所を特定するだけのニュートリノを検知するにはかなり時間がかかるため、その間に原潜が移動してしまうのが最大の課題?!・・・今はまだ使えなくても、これを使えるようにするのが私たちの仕事です。 ちなみに、宇宙などで発生する高エネルギーニュートリノは、水で吸収されるのでカミオカンデなどにある光電子増倍管装置で検知することができます。 |
—- JAMSTECでメンテナンスを受けていた深海観測船を拝見することができました。
動画でご覧頂けます。画像をクリックしてください。
しんかい6500 |
以上、貴重なお時間を頂き、ありがとうございました。
一般財団法人 日本ITU協会 横田
(注1)本文内の図・表は、すべてJAMSTEC資料から引用
(注2)写真・イメージは、当協会で撮影したもの及びFreeのものを利用
— シリーズ ~ ユニーク技術のご紹介 —
ユニーク技術(1) |
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ユニーク技術(2) |
#035 電波のエネルギー利用(エネルギーハーベスティング) |
ユニーク技術(3) | |
ユニーク技術(4) |
☆ 海中における電波利用の可能性(JAMSTEC 吉田先生) |
ユニーク技術(5) |
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ユニーク技術(6) |
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